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武末伸一とは

変わるきっかけを教えてくれたひとたちの
『笑顔を取り戻すこと』が私の使命です。

発毛は笑顔をつくります。

はじめまして、美容師歴31年の武末伸一と申します。
1965年7月生まれの51歳です。
家族構成は、妻と3人の娘・義母、愛犬わたる・愛猫カルピンの6人と2匹。
一人は嫁ぎましたので、5人と2匹。
実は、マスオさんです。
愛犬も愛猫も、私だけ別の名前で呼んでいます。愛犬「ガ王」、愛猫「にゃ王」。
2匹とも自覚しているようで、ちゃんと反応します。
10代の頃、素行の悪さが原因で母をうす毛にしたことがきっかけで、改善に取り組んできました。今では、病気や先天性以外の女性の脱毛は、すべて改善できると思っています。

テレビCMで盛んに流れている「AGA」は、男性向けの進行を抑制するための医療。そして、女性への改善法はいまだ確立されていません。しかし、女性は年 齢を重ねても女性ホルモンが優位であるため、正しい知識と技術があれば改善できます。


私が頭皮ケアにこだわるようになった理由

は・つ・も・う・は・え・が・お・を・つ・く・る
発毛は笑顔をつくる

「武末、明日から来るなよ!」

教師のこの言葉を最後に、高校を退学。

具体的な将来像を描けないまま、美容師を志しました。

学費ねん出のため住み込みで働いた1年後、
久しぶりに見た母の姿に愕然としました。

多かった髪が薄くなっていたのです。

退学しても、素行の治らない私を心配しての事でした。

(俺が治す!)

しかし、抜け毛を止める方法さえわかりません。

同じ症状は、原因も同じじゃないか?と思い、
共通しているものを探しました。

やれる限り、思いつく限りの手をつくし、
3年後、頭皮環境を改善することで克服できました。

そして、10年の修行を経て店をオープン。

サロンでこの療法を実施する傍ら、
全国の薄毛で悩む方の
「相談ボランティア」をはじめました。

この方々からいただく「ありがとう」は、私が求めていたものでした。

それは、幼いころからのトラウマかもしれません。

1970年

川べりで一緒に遊んでいた、3歳の妹がなくなりました。

お腹が大きかった母は、
漁師をしていた父と真冬の海で働き
無理がたたって死産でした。

漁師を廃業し、
弟を授かり、妹がうまれた3ヶ月後、父が事故で他界

乳飲み子を抱えた母は、 ふるさと福岡で内職をはじめて生計を立てました。

そして、8歳だった私に期待し、次第に頼るようになります。

子守やおむつ替えに始まり、一緒に遊んだり、宿題をみたり。

このころから満たされない感情がうまれ、
(子供を頼るぐらいだから)
だんだん母を見下すようになりました。

思うようにならないことに腹を立て、
弟妹を怒鳴り散らし、殴ることも・・・

優しくされても「そんなに弱くない!」と突っぱね、

褒められても
素直に喜ばない、

親切には甘えない、

心配されると、
うっとうしがって・・・

母に相談したことは何一つありません。

笑顔は消え、感謝の心が持てなくなりました。

布団をかぶり、
声を押し殺して泣く母の姿さえ
うっとうしく思っていました。

次第に生活は荒れ、あげくの果てが高校の退学です。

(結婚したら、きっとこの思いから解放される)と思っていました。

24歳で結婚、
(妻を守る!)

(貧乏から抜け出す!)
(母を楽にさせる!)
強く心に誓いました。

29歳で店を持ち、売り上げも上がり、スタッフも増えました。

人並みの生活もできるようになりました。

でも・・・
(何かが足りない...)

些細なことで妻を怒鳴り、
手をあげない代わりに壁や床を殴りつけ
自分を傷つけていました。

そんな私の顔色をうかがい、いつもビクビク。

ろくでもありませんでした。

(何のために生きてるんだろう?)
(必要とされてるのか?)

次第に髪は薄くなり、
安定剤を服用しふさぎ込む毎日。

そして、

【うつ】の診断を受けた。

私の髪はケア法を変えるだけで改善できるほど、甘くなかった。

楽しみだった子供との触れ合いも、笑顔が出ない。

そのうち売り上げも下がり、
スタッフも一人、また一人と欠けていく。

開業して12年、とうとう一人になった。

働きに出ていた妻は、休みを返上して店を手伝ってくれた。

しかし、
家族がそばにいても孤独を感じていた。

そして、生きている意味が分からず睡眠薬の大量服用

20時間後、意識が戻り、目に飛び込んできたのは妻の顔でした。

(満たされない)と卑屈になり、
抜け落ちる髪が引き金となって、そんな行動に走った。

笑顔は消えて、お客さんとも話せない。

見かねた妻は、「そんなに辛いなら辞めていいよ」言ってくれた。

本当にありがたかった

(店を手放しても学歴も職歴もない私が、家族を食べさせていけるはずもない)

そんなことさえ分からなくなっていた。

家族を守るため美容を続けながら、
以前から研究していたうす毛改善を見直した。

原因を見つけてもシャンプーでは改善できない。

本を読んでも、
ネットで調べても、
メーカーやディーラーに聞いてもわからない。

そして、(どこにもないんだったら)と自分で作り始めた。

2005年
現在のうす毛療法を確立。

自分の髪を取り戻すことができた

7年間服用した睡眠薬と安定剤から解放された。

そして、悩んでいる方を改善していくことで (満たされなさの正体)がやっとわかった。

それは、心からの笑顔と「ありがとう」

父が他界して
母に言えずに心にしまっていることがあった。

(俺ね、母ちゃんが思ってるような できる子じゃない!そんない強くない!)

強くなきゃいけないと思い、
甘えることも弱音を吐くこともできなかった。

いつも一人で、
歯を食いしばっていた

(頼ってくれるより、笑っていて欲しかった)、
(「ありがとう」って、言って欲しかった)・・・

これが笑顔になれない原因だった。

そしてもう一つ気づいたことがある。

それは、
自分が笑顔になって感謝すること

悩みがわかるからこそ、
つとめて笑顔を心がけた。

そして、
お客様から、お礼の電話やメール・手紙が寄せられるようになりました。

それまでのつらい想いや不安、
そして、改善するまでの様子が手に取るようにわかります

うつむいていた表情が和らぎ、
顔をあげて目を合わせ、
笑顔が出て声のトーンまで変わります。

そして、感謝の言葉。

「やりがいってこれだ!!」気づかされました。

2008年
『発毛で笑顔づくり実践会』を立ち上げました。

「笑顔を取り戻したい」
「多くの方の力になりたい」

こんな想いに賛同する先生が
少しずつ集まりました。

悩んでいる方が先生を通じて
笑顔と「ありがとう」をくださいます。

美容師が、
髪で悩む方の力になれないのは辛いことです。

髪があっての美容師です。

髪を取り戻すことは『究極の美容』だと思います。

私が47都道府県のサロンへ【うす毛改善】の伝道師となり、
悩んでいる人に、笑顔と「ありがとう」の輪を広げたい!

「笑顔」は全身で感じた

「ありがとう」は心が震えた。

「発毛」は勇気をくれた。

そして、「やりがい」は「生きがい」を教えてくれた。

変わるきっかけを教えてくれたひとたちの
『笑顔を取り戻すこと』が私の使命です。

発毛は笑顔をつくります。

ここまでが私のプレゼンです。


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